【夏休み】サムイ島に行ってきた

夏休みで、タイにあるサムイ島というところに行ってきた。
マジで最高だった。

サムイ島は、タイ南部にある島。
この島には、2泊3日したが、ここはめちゃめちゃおすすめ。
本当に楽園のような島だった。

バンコクから飛行機で1時間半ぐらい。バンコクまで東京から6時間ぐらいなので、
乗り換えも含め正味8〜9時間ぐらいで到着できる。

場所としては、ちょっと見づらいけど、左にのびている半島の先にちょっとある感じ。

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7月の3連休に訪問したが、いわゆる、タイのリゾートという感じで、欧米系の観光客が多かった。島全体の空気はのんびりとしており、島にいるだけで癒される。

まずは到着して、「チャウエンビーチ」と呼ばれる、ホテルなどがたくさんあり、栄えている場所のビーチに行く。

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並んでいるホテルがそれぞれ、砂浜に長椅子を出しており、滞在客がだらだらとピニャコラーダを飲みながら日焼けをしている。途中、地元の人がやれ麦わら帽子や、浮き輪だったりを売りにくる。全体的にがやがやしている感じだが、そのにぎやかな感じがどことなく心を浮きだたせる。

だが、残念ながら今回の旅はチャウエンビーチがゴールではない。チャウエンビーチでの戯れなど、前哨戦でしかない。

真の目的地はここである。
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チャウエンビーチからタクシーを走らせること数十分、喧噪とは無縁の場所にこの地上の楽園は存在する。このホテルがいかにすばらしいかは、tripadvisorなどでレビューを読んでほしい。自分ではうまく写真が撮れていないが、デザイン的なすばらしさも写真で余すところなく感じてほしい。

このホテルは、ヴィラと呼ばれる独立した家が客室である。プライバシーも確保されており、のびのびとリラックスできる。客室にはプライベートプールがついていて、朝起きてそのままプールに飛び込む、というリッチな楽しみ方ができる。朝飯前にひと泳ぎだなんて、なんだか、金持ちのCEOになった気分である。
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そして、この年になって、わかった事がある。最高の休みとは何か?という問いに対する答えである。それは、「何もしないこと」である。

今回の旅行でも、その最高の休日を実践すべく、何もしなかった。正確には、ホテルにある静かなプライベートビーチで飲み物を飲んだり、手帳にスケッチをしたり、昼寝をしたり、無為ではあるが、贅沢な時間を過ごした。文字通り朝から晩まで、である。

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ここに一週間も入れば、東京での生活には適応できない廃人になれる事間違いなし。毒性があると表現してもいいぐらい、ここでの滞在は魅力的だった。

帰国の際、半分廃人になりながら、「いずれこの場所で別荘を買うぞ!」という強い決意をもって泣く泣く日本に帰国したが、このホテルが販売する別荘が軽く2億を超える値段だという事実を知り、打ちひしがれてしまったのは残念な事だった…。

ぜひまた行きたい。そして、これから行く人にはオススメです。

自分の周りの人の働き方のスタイルや労働観について

最近、仕事でこれまで、会う事がなかったような人に会う事が多い。
お会いするのはいわゆる自分と同じサラリーマンの立場の方ではなく、
自分自身で独立し、自分の才能で生きていっている「アーティスト」な人たちである。

圧倒的なエネルギーで人をどんどん巻き込んでいき、
刺激的なアウトプットを発表、またさらにまわりの人を引き寄せて、
よりよいもの作りの環境であったり、名声・評判を獲得していく…。
登り調子で、いわゆる「旬」な人たち。それが自分でもわかっている感じである。

そんな、輝くような才能に触れると、自分も触発されるところがある一方、
そして同時に、その人たちが発する眩しさに嫉妬のような感情も感じる。

けれども、そんな中、はっとさせられる事もある。
自分と同い年のあるアーティストと話をしていて、
若くして、自分の足で立って、独立する事は怖くないのか?と聞いた時である。

「独立だなんて、とんでもない。人に助けられて、助けられて自分はここまできている。一人では到底できっこない。」

そういわれて、なるほどな、と思った。

生きていく上で、どんな仕事をしていても自分一人で完結する事はあり得ない。それは、会社という組織に属していようがいまいが関係ないのだ。

リチャード=フロリダが昔提唱した「クリエイティブ経済」の中で、今後場所にとらわれる事なく、クリエイティビティをコアにお金を稼ごうとするクラスの台頭すると言われていたが、自分が接している人たちがまさにそうなのではないかと思う。

たしかに、組織に縛られず独立はしているが、人と人のつながりがない訳ではない。近々同期が会社を辞め、スタートアップ企業で働く事になっているが、日本でもある一定層の中でその傾向は加速していくのだと思う。

そして、ここまでの自分の歩みを考えてみる。そのときそのときでは、一生懸命がんばっていると思っていたが、改めて振り返ってみると後悔を感じる事も多い。がんばっているつもりで、実は逃げていたのではないのか?人間とは弱いものだから、主観での自分の現状認識と、客観のそれとでは違う事はよくある事だ。

別の同期と話をしていたときの事。この人は、仕事をすごくがんばる人だ。土日のどちらかは、必ず仕事をしているという。なぜそこまで仕事をがんばるのか?という問いに対して、その人は、こう答えた。

「自分の好きな上司に認められる事が喜びであり、正しい道を歩んでいるとわかる唯一の方法だから、がんばっている」

明確でわかりやすい指針だと思った。

働き方は違う人たちが周りに沢山いるが、学ぶべきところは多い。
しっかりと仕事に取り組み、かっこいい生き方をしたい。

【視聴記録】Blue Valentine

最初みたときに、妻が一番悪いんじゃないかと思ったが、それはどうやら男の視点らしい。

夫の向上心のなさ、というのも離婚の遠因となるものわかる気がするが、「家族と一秒でも長くいたい」と言っている夫が悪いとはどうしても思えない…。

エンディングの映像がきれいで印象的。

ソーシャルは嘘ばかり

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facebookやtwitter上で展開される情報で、いかに嘘が多いか、最近よく感じる。震災直後も、デマなどのたぐいが多かったが、最近はより巧妙になってきていると思う。有害な情報ではないので、いいのだが、いかに信用する人が多い事か。だが、流す方も巧妙に作っているので、受けてもシェアするトリガーを押してしまうのだと思う。

最近だと、これ。

ちなみにビルゲイツは学生時代に常に数冊の本を持ち歩いていて、少なくとも年間300冊以上は読んでいた。それが原因で学校の連中に「prn(印刷物を意味するprintからきた侮蔑する言葉)」とあだ名を付けられたんだが。ビルゲイツはいい年になった今でも当時のあだ名をひどく嫌っているらしく。windowsで新しいフォルダを作るときに「prn」という名前を付けられないようにした

※あだ名の理由は若干の違いあり

ビルゲイツの学生時代の話はデマなのだが、よくできていると思う。ウィンドウズユーザーであれば、すぐ自分で試してみる事ができ、実際、本当にフォルダを作る事ができないので、「本当だ!」と真に受けてしまうのである。

※ちなみに、prnという名前でフォルダが作れないのは、「予約デバイス名」と呼ばれる予約済みの名称がウィンドウズにあるため。

うまいなと思うのは、自分でいったん「試してみる」というプロセスを踏ませる事が受け手にできるので、このプロセスを通じて話を本当だと信じさせてしまう事ができるのである。「ストーリー」を体験させてしまうと、話の真偽を疑うという過程がごっそり抜けてしまうのである。多分、「自分でやってみて体験した」というところが受け手の中での真実になってしまうからだと思う。

ソーシャル上でシェアされている「いい話」とかはなるべく気をつけるようにして、ひと呼吸置いて考えてみる事にした方がよいと思う。デマやホラをシェアしたとわかってしまったときの、恥ずかしさといったらないだろうから。

書籍の電子化をした

大学の頃から、本を買っては読んできて、すべてを強引に本棚におさめてきていたが、そろそろ限界が来たので、すべて電子化をするプロジェクトに着手した。

といっても、そんなに大げさな事ではなく、ただオンラインで書籍電子かサービスに申し込んで、本を送るだけ。ただ、自分の場合は書籍がおそらく500〜1000冊ぐらいあったので、なかなか面倒ではあったが…。

つかった電子化代行サービスはここ。

「スキャンビー」

ネットで評判を検索すると、主にtwitterでまとめられた各サービスを利用した人の感想がまとめられているが、多くがネガ。やれ業者から連絡がないとか、やれスキャンの結果が満足いかないとか、本当にいろいろ出てくる。ある人が良いと言っていたサービスも他の人からすれば全然駄目らしく、どれが一番いいのか、よくわからないのでそれなりに納期が早く、価格も安いところにお願いするところにした。

試しにスキャンしてみたところ、問題ないと思ったので、残りの本棚の書籍もお願いする事にした。

スキャンした書籍データをクラウドにあげれば、デバイスや場所を問わず、どこでも読めるようになる。最近のスキャンサービスはOCRオプションもついているので、プログラミングの技術書など重量があって、普段から持ち歩きづらいような書籍は特に重宝するだろう。

最近は、Googleのクラウドストレージサービス”Drive”がローンチ間近と言われるし、今後もクラウドストレージはどんどん普通になってくると思う。外部HDDにデータをバックアップするより遥かに安全だろう。

震災を経験すると、断捨離じゃないが、データやフィジカルなものを手元に置いておく事が必ずしも良い事だとは思えなくなった。どこか遠くの安全な場所にすべてデータを移して、適宜引き出すモデルへのシフトが今後も進むはずだ。生活はシンプルな方がいい。

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リアルとデジタルの逆転

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最近、Facebookで知人の動向を知ることが普通になった。アクセス環境がPCやモバイル等多岐に渡るため、その昔mixiが流行った時よりも即時性が高くなった。

金曜日の夜に仕事で会社に残って、Facebookの画面を開くと、日本全国津々浦々(そして時には世界中)から自分たちがいかに花金を謳歌しているか、洪水のごとくタイムラインに写真やら、コメントやらがが跋扈し、それを受動的に見ている自分もなんだかその場にに参加しているような気分になって来るのだ。

その時、ふと感じた。なんだか、Facebookという大きなシステムの中で監視されているようだ、と。

昔は、ネットといえば、ある種の逃避行の行き先の一つだった。現実世界とは別の世界をネットの中に求めたのだ。匿名の環境の中、自由を楽しむ。初期のハッカー文化にもそのような考え方に通じるところがあるだろう。

だが、友人たちから続々とアップされるタイムラインをみていると、もはやそのような世界は存在しないように感じられた。Facebookが究極的に目指すのは、これまで、リアルな世界でしか存在していなかった「ソーシャル」と呼ばれる人間同士の関係のすべてをデジタルな世界に移植することだ。それは、現在進行形の出来事だけでなく、過去の出来事についてもユーザーが自ら情報をアップロードすること(例えば昔の写真とか)を促すことで実現しようとしている。

そのような事象が進むさなか、過去のデジタルな世界と同じ性格の自由を求めようと思うと、逆にリアルの世界に出ないといけないのではと思った。

何にも、誰にも行動をトラッキングされることもなく、他でもない自分のためだけに経験できる世界。

過去にネットの匿名性の中にそのような世界を求めた、決して多くはいないかもしれない人たちと同じ性格を持つ人たちがいるとするならば、今後彼らはきっとリアルの世界を目指すだろう。

「書を捨て街に出よ」じゃないが、きっと、これから、「外に出ること」がますます加速的な傾向を迎えると思う。外で音楽を聴くフェスしかり、自転車が都市圏の新たな移動として注目されていることもしかり、カーシェアの盛り上がりもしかり。

そういうトレンドを予見して、何ができるか。今のうちの仕込みが大事だと思うが、どうだろうか。

processing上で作成したandroidスケッチから.apkファイルを生成するには。

備忘録用のメモ。
processingで初めてandroidスケッチを作成し、
その後初めて.apkファイルを作るのに、意外と手間取ったので、メモしておく。

2012/9/21追記:より詳しい手順を更新しました!

参考になったサイト:

https://forum.processing.org/topic/exporting-processing-s-pde-to-android-s-apk

http://www.akeric.com/blog/?p=1352

途中にあったスタックポイント:
1.)macのターミナルでコマンドを実行しようとしたら文字化け。
ターミナルの文字エンコーディングと、javaの文字エンコーディングの違いによるものらしい。
ターミナルの文字エンコーディングを、shift-jisに変更し、対応。
2.)zipalignコマンドがどういう訳か動作せず。
ローカル内を検索したところ、コマンド自体は存在していたので、コマンドのパスを通し、無事解決。

情熱を持って仕事にあたる方法

この、ブログの記事を読んだ。
“I’m not as smart as I thought I was.”
(邦訳はこちら:「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった」

とある高校生が、「自分は思っているより頭が良くなかった」と愚痴っているエントリーに対して、なされた返信が大変示唆に富んでいて、各方面で話題になっているものである。

先の高校生に対して、「頭が良い」といわれる人たちが、決して、まったくもって到達不能である、という事ではなく、長年の鍛錬と蓄積によるものであると、説明を行い、
さらに加えてもう一つ必要なものがあると説明していた部分が個人的に心に残った。
抜粋は以下の通り。

うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。彼らは知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。

「知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。」
確かにその通りだと思う。
やる気がない=情熱がない。それでは、何もなし得る事はできない。
ある先輩が言っていた、「私は誰かを評価するとき、その人の能力ではなく情熱を評価するようにする。」

でも、情熱ってどうやって生み出すのだろうか?
高尚な目的(例えば、この仕事で俺は世界を変えるんだ!とか)がないと
情熱なんてわき上がってこないような気もする。

脳科学者に池谷裕二さんという方がいる。
いろいろ本を出しているので、すごく有名な方なのだが、
「脳は身体的事実に追随する」という話がある。

人間とは、やろう!と思って何かを始めるのではなく、
身体を動かす事によって、初めてかわるのである。

眠いのに起きなきゃいけないとき、寝ているままだと
いつまでも眠いまま。

つまり、身体が脳に取ってのスイッチなのである。

物事の「やる気」もそうであるとの事。
例えば、経験はないだろうか?部屋の掃除をしたくないとあれだけ思っていても、
いざ初めて見ると気分が乗ってくる、そんな経験が。

情熱も同じだと思う。
情熱を持とうと思い続けても、いつまでもたっても、そんなもの、降ってきやしない。
ナイキのJUST DO IT!じゃないけど、何でもいいので初めてみる事こそが、
人の情熱の源泉となるのではないだろうか。

「大人」TSUTAYAに行ってきた。


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