自分の周りの人の働き方のスタイルや労働観について

最近、仕事でこれまで、会う事がなかったような人に会う事が多い。
お会いするのはいわゆる自分と同じサラリーマンの立場の方ではなく、
自分自身で独立し、自分の才能で生きていっている「アーティスト」な人たちである。

圧倒的なエネルギーで人をどんどん巻き込んでいき、
刺激的なアウトプットを発表、またさらにまわりの人を引き寄せて、
よりよいもの作りの環境であったり、名声・評判を獲得していく…。
登り調子で、いわゆる「旬」な人たち。それが自分でもわかっている感じである。

そんな、輝くような才能に触れると、自分も触発されるところがある一方、
そして同時に、その人たちが発する眩しさに嫉妬のような感情も感じる。

けれども、そんな中、はっとさせられる事もある。
自分と同い年のあるアーティストと話をしていて、
若くして、自分の足で立って、独立する事は怖くないのか?と聞いた時である。

「独立だなんて、とんでもない。人に助けられて、助けられて自分はここまできている。一人では到底できっこない。」

そういわれて、なるほどな、と思った。

生きていく上で、どんな仕事をしていても自分一人で完結する事はあり得ない。それは、会社という組織に属していようがいまいが関係ないのだ。

リチャード=フロリダが昔提唱した「クリエイティブ経済」の中で、今後場所にとらわれる事なく、クリエイティビティをコアにお金を稼ごうとするクラスの台頭すると言われていたが、自分が接している人たちがまさにそうなのではないかと思う。

たしかに、組織に縛られず独立はしているが、人と人のつながりがない訳ではない。近々同期が会社を辞め、スタートアップ企業で働く事になっているが、日本でもある一定層の中でその傾向は加速していくのだと思う。

そして、ここまでの自分の歩みを考えてみる。そのときそのときでは、一生懸命がんばっていると思っていたが、改めて振り返ってみると後悔を感じる事も多い。がんばっているつもりで、実は逃げていたのではないのか?人間とは弱いものだから、主観での自分の現状認識と、客観のそれとでは違う事はよくある事だ。

別の同期と話をしていたときの事。この人は、仕事をすごくがんばる人だ。土日のどちらかは、必ず仕事をしているという。なぜそこまで仕事をがんばるのか?という問いに対して、その人は、こう答えた。

「自分の好きな上司に認められる事が喜びであり、正しい道を歩んでいるとわかる唯一の方法だから、がんばっている」

明確でわかりやすい指針だと思った。

働き方は違う人たちが周りに沢山いるが、学ぶべきところは多い。
しっかりと仕事に取り組み、かっこいい生き方をしたい。

過去でもなく、未来でもなく。

「今」という瞬間、というか、「一刹那」にフォーカスする事の大切さというものを最近よく考えます。

よく人はうまく行っていない現在の自分への原因を自分の過去に求める事があるかもしれません。例えば自分の過去を振り返って 「〜〜しておけば良かった。」「〜〜しなかったのはよくなかった。」などと否定してみたり。 去年の前半あたりから、思う様に行かない「仕事」という人生上のやっかいなトピックにたいして僕はそう考えていました。

そして、ある人は自分の未来に絶望というか、ある種の諦観を持っているかもしれません。「どうせ自分はこの先〜〜という道しかないから。」 「いくらがんばってもどうせ自分は〜〜になるだけだ。」などとうそぶいてみたり。これも多分に漏れず僕の思考を支配していた言葉たちです。

そうはいいつつも。
最近は別の事を考える様になりました。それは最初にも書きましたが「今」を大切にする事。この「一刹那」に 全力を出し切ること。そこには「過去」もなければ「未来」もない。「後」もなければ「先」もない。あるのは今という瞬間瞬間の連続だけ。

無味乾燥に聞こえるかもしれませんが、逆に言えば「今」 にさえ集中すればずっと僕を苦しめてきている「過去」や「未来」にとらわれる事なく生きていける事かもしれません。「何いってんだコイツ」みたいに思われるかもしれませんが、そういった感覚/姿勢を自分のポリシーにして行きたいです。粛々と仕事に打ち込むストイックな感じがよいです。

担当している案件もいよいよ佳境。

あっという間の三連休。

この三連休は撮影が入っていたため、ずっと川崎市の某スタジオにてずっと撮影の立ち会い。朝からスタジオに入り、夜には帰宅するというスケジュールで、なかなかきつそうに見えるのだが、撮影自体はスタッフにお任せしてあるので(クライアント確認事項等はのぞいて)基本は「待ち」のスタンス。

ずっと待っているのもどうしようもないので、本やらPCを持ち込んで対策を立てる。それで、PCでずっと何かしら個人的な作業をしているのだが(このブログを立ち上げてみたり)スタジオの閉め切った空間で、かつ画一的なライティングのおかげで「時間」というモノの概念が失われ作業がかなりはかどる。

色々、その間考え事をしていたが、とりあえず仕事を頑張ろうという決意に至る。なんだか、頑張れそうな気がする。

自分なりのスタイル/手法を見つけるという事。

自分の仕事や広告全般について考える事が多い毎日です。クリエーティブだけに限らず、マーケティング上の知識やブランドについての本やウェブサイト、果てはクライアントの商品や業界情報に関してよく読んでいるような気がします。本当は、広告に限らずもっと他の事を勉強しようと思っていたのですが、どうもいったん考えだすと気になってしまい、日々のルーティーンの中で摂取する情報が限られて来てしまっています。これはこれでよくないので、努めて他の情報に触れて行かなければならないと思っていますが・・・。

そのなかでも、クリエーティブの事例を探しそれを自分の知識として体系化して行く為にYoutubeが非常に役に立っています。具体的にどうしているかというと、Youtube上に存在する無数のCMの動画集を自分のパソコンの中に取り組み、それをiTunesにどんどん放り込んで行くという作業です。これが、なかなかすごいことで、CMに限らずYoutubeで自分が「これは面白い!」と思った「ネタ」をじゃんじゃんハードディスクに落として行くので、ここ数週間でiTunesの動画プレイリストがCMだらけになってきています。
ただ、これらをコレクションするのがおそらく重要なのではなく、そこから「何が」「何故」「どうやって」おもしろいのか考えて行く事が大事なのだと思います。その昔、広告業界では今となっては有名すぎる、佐藤雅彦さんがクリエーティブ局に転局した当時は自分で世界中のCMを見比べて「佐藤雅彦選傑作CM集」なるものを作って勉強していたそうです。
当時の佐藤雅彦さんの時と同じ事をするのがずいぶん簡単になってきているので、同じような事をして勉強をしている人はたくさんいると思いますが、そこのタネからいかに多く収穫を得られるか、そしてその収穫を得る為の自分のスタイル/手法を発見するかが勝負となってくると思っています。