書籍の電子化をした

大学の頃から、本を買っては読んできて、すべてを強引に本棚におさめてきていたが、そろそろ限界が来たので、すべて電子化をするプロジェクトに着手した。

といっても、そんなに大げさな事ではなく、ただオンラインで書籍電子かサービスに申し込んで、本を送るだけ。ただ、自分の場合は書籍がおそらく500〜1000冊ぐらいあったので、なかなか面倒ではあったが…。

つかった電子化代行サービスはここ。

「スキャンビー」

ネットで評判を検索すると、主にtwitterでまとめられた各サービスを利用した人の感想がまとめられているが、多くがネガ。やれ業者から連絡がないとか、やれスキャンの結果が満足いかないとか、本当にいろいろ出てくる。ある人が良いと言っていたサービスも他の人からすれば全然駄目らしく、どれが一番いいのか、よくわからないのでそれなりに納期が早く、価格も安いところにお願いするところにした。

試しにスキャンしてみたところ、問題ないと思ったので、残りの本棚の書籍もお願いする事にした。

スキャンした書籍データをクラウドにあげれば、デバイスや場所を問わず、どこでも読めるようになる。最近のスキャンサービスはOCRオプションもついているので、プログラミングの技術書など重量があって、普段から持ち歩きづらいような書籍は特に重宝するだろう。

最近は、Googleのクラウドストレージサービス”Drive”がローンチ間近と言われるし、今後もクラウドストレージはどんどん普通になってくると思う。外部HDDにデータをバックアップするより遥かに安全だろう。

震災を経験すると、断捨離じゃないが、データやフィジカルなものを手元に置いておく事が必ずしも良い事だとは思えなくなった。どこか遠くの安全な場所にすべてデータを移して、適宜引き出すモデルへのシフトが今後も進むはずだ。生活はシンプルな方がいい。

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リアルとデジタルの逆転

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最近、Facebookで知人の動向を知ることが普通になった。アクセス環境がPCやモバイル等多岐に渡るため、その昔mixiが流行った時よりも即時性が高くなった。

金曜日の夜に仕事で会社に残って、Facebookの画面を開くと、日本全国津々浦々(そして時には世界中)から自分たちがいかに花金を謳歌しているか、洪水のごとくタイムラインに写真やら、コメントやらがが跋扈し、それを受動的に見ている自分もなんだかその場にに参加しているような気分になって来るのだ。

その時、ふと感じた。なんだか、Facebookという大きなシステムの中で監視されているようだ、と。

昔は、ネットといえば、ある種の逃避行の行き先の一つだった。現実世界とは別の世界をネットの中に求めたのだ。匿名の環境の中、自由を楽しむ。初期のハッカー文化にもそのような考え方に通じるところがあるだろう。

だが、友人たちから続々とアップされるタイムラインをみていると、もはやそのような世界は存在しないように感じられた。Facebookが究極的に目指すのは、これまで、リアルな世界でしか存在していなかった「ソーシャル」と呼ばれる人間同士の関係のすべてをデジタルな世界に移植することだ。それは、現在進行形の出来事だけでなく、過去の出来事についてもユーザーが自ら情報をアップロードすること(例えば昔の写真とか)を促すことで実現しようとしている。

そのような事象が進むさなか、過去のデジタルな世界と同じ性格の自由を求めようと思うと、逆にリアルの世界に出ないといけないのではと思った。

何にも、誰にも行動をトラッキングされることもなく、他でもない自分のためだけに経験できる世界。

過去にネットの匿名性の中にそのような世界を求めた、決して多くはいないかもしれない人たちと同じ性格を持つ人たちがいるとするならば、今後彼らはきっとリアルの世界を目指すだろう。

「書を捨て街に出よ」じゃないが、きっと、これから、「外に出ること」がますます加速的な傾向を迎えると思う。外で音楽を聴くフェスしかり、自転車が都市圏の新たな移動として注目されていることもしかり、カーシェアの盛り上がりもしかり。

そういうトレンドを予見して、何ができるか。今のうちの仕込みが大事だと思うが、どうだろうか。