WIRED CONFERENCE 2012@Roppongi Hillsに行ってきた

ワイヤード主催のカンファレンスに行ってきた。
クリス・アンダーソンさんのトークが大変面白かったので、レポート記事にしたい。

<Who is「クリス・アンダーソン」?>
US版ワイヤード編集長(つい最近、辞任する報道が出たけど)。日本では書籍が一番有名で、

『ロングテール -「売れない商品」を宝の山に変える新戦略-』
『フリー -〈無料〉からお金を生みだす新戦略-』

などのネット系や、広告関係の人には特に知られた著作を持つ。
最近発売された著書が、『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』
今日行ってきた講演は、このMakers Movementについて取り扱うもの、と言う訳だ。

カンファレンスのページにも、詳しいプロフィールがある。

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<WIRED CONFERENCE 2012基調講演内容要旨>

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クリス・アンダーソンさんの講演は、まず、スイスからの移民であったご自身の祖父の話から始まりました。彼は、仕事の傍ら、「発明」をする事に時間をかけていたそうです。彼のそのときの発明は、「スプリンクラー」。時計の技師がおおい、スイスらしく、そのスプリンクラーにタイマーをつけ、初めて特許を取ったのがクリス・アンダーソンの祖父でした。

「特許をとって、お金ももらえて、すばらしい話じゃないか!」と周りの人は思うかもしれませんが、発明者であるクリス・アンダーソンさんの祖父は「特許」と言う物に対して、良くは思っていなかったようです。彼は、「発明」という行為を通して、自分のアイデアを具現化し、マーケットに出す事に成功しましたが、自分が発明した物が自分の手から離れてしまう事をも意味していました。彼は発明者ではあっても、起業家ではなかったのです。そんな祖父から、クリス・アンダーソンさんは「ものづくり」のいろはを学びました。機械製図の基礎から、実際にそこで起こしたアイデアをプロトタイプに落とし込むまでなど。型から、エンジンを作った事もあったそうです。

時はながれ、現代。物作りはテックショップと呼ばれる、いわゆるファブラボのようなスペースで行われるものとなりました。この物作りの変遷の動きは、当時メインフレームと呼ばれ、アクセスがきわめて限定だったコンピューティングが、パーソナルコンピューターとして人々に広く普及していった流れとよく似ています。

クリス・アンダーソンさんは続けます。「これまでの10年は新しいソーシャルとイノベーションのモデルをウェブで試す事でした。これからの10年はそれを現実世界に広げる事です。」と。

まず最初に産業革命。それは、人が持つ「物理的な力」を例えば水力や電力を使って機械に変換する事を可能にしました。その結果、少ない人間が、膨大な量の製品を作り出す事を可能としました。しかしながら、それはそれまで散らばっていた人々の住まいを工場に集約させる事となりました。そして、その工場は資本家が所有していた物です。

そして、次の産業革命。プリンターという存在(パーソナルコンピュータではない)を考えてみると、プリンターを通じて、波及力は限定的ではある物の、「知識をパブリッシングする」というそれまでできなかった事ができるようになりました。さらに、ブログの登場を経て、知識を広める事ができるようになりました。プリンターとブログは、それぞれプロトタイプのツールであり、ディストリビューションのツールであったと言う訳です。

三つ目の産業革命。つまりこれからの時代。プリンターがプロトタイプのツールであったとするならば、これからは3Dプリンターがプロトタイプのツールとなるでしょう。それに対応する、ディストリビューションのツールは、クラウドマニュファクチャリングプラットフォームの存在があげられるでしょう。ウェブが広まっていったときとおなじ構造がここでもみられるのです。

クラウドマニュファクチャリングプラットフォームの一例…

<alibaba.com>
世界最大のB2Bインターネット貿易サイト。サプライヤーとバイヤーをつなぐ。
http://www.alibaba.com/

<trademanger>
上記のalibaba.comにて、サプライヤーと連絡を取り合うためのチャットツール。やり取りされるメッセージは自動的に翻訳される。
http://trademanager.alibaba.com/

アイデアをプロトタイプし、実際に製品として作るところまで、個人でできてしまうのです。でもその後は?そこで、kickstarterなどでクラウドファンディングを行うのです。

<kickstarter.com>
http://www.kickstarter.com
クリエイティブなプロジェクトのためのクラウドファウンディングサービス。予算はないけれども、魅力的なゲームや低予算映画のプロジェクトがあるユーザーが、他のユーザーから投資を受けることができるプラットフォームです。有名なのは、pebbleというプロジェクト。68,000人以上の支援者を集め、$10,266,845(!)という金額を集めています。

クラウドファンディングがすばらしいのは、お金を借りる必要がない事です。ユーザーからの支持をベースに資金が集まるので、市場調査もかねています。(お金が集まる=マーケットがほしがっている物である、という図式が成り立ちます)また、一番すばらしいのはユーザーからの支持を集める段階で、「コミュニティ」が出来上がるという点です。ユーザーは顧客ではなくなり、参加者となるのです。

クリス・アンダーソンさんの祖父が作ったタイマー付きスプリンクラーは今の時代だったらどうなるだろうか?そんな考えをもとに、クリス・アンダーソンさんが作ったスプリンクラーが、”OpenSprinkler” ネットにつながっており、外からでもスプリンクラーをコントロールすることも可能です。APIも公開されており、手順を経れば、だれでも自分で安価に作る事ができます。クリス・アンダーソンさん自身はスプリンクラーを作った事があるわけでももちろんなく、それでもネットで関係者の力を借り、1ヶ月ほどで作り上げる事ができました。しかも、これまであったスプリンクラーより良い物が。

そのときに使ったツールですが、Autodesk 123Dというソフトがあります。

インターフェース画面をみると、PrintだったりMakeというボタンがあります。考えてみるとすごい事で、印刷する、プロトタイプを作り上げる、というのは一昔前は専門領域で、場合によってはPhdがいるような領域でした。

クリス・アンダーソンさんの娘さんたちにこんな事があったそうです:彼女たちはドールハウスで遊ぶ事が多いのですが、もっと家具を集めたりして、おもちゃのバリエーションを増やしたいと思っていました。そこで、父親であるクリス・アンダーソンさんにおねだりをして、amazonで何かいいものは無いかどうか、いろいろ探してみるのですが、たくさんのメーカーが製品を出しており、そのどれもに規格が存在する訳でもなく、自分たちのニーズに合う物が無い事がわかったそうです。そこで、クリス・アンダーソンさんたちがとった方法とは、プロの家具デザイナーがオンラインで公開している家具のCADデータを入手、それを用いて自分たちのドールハウスで合うサイズに変更し、3Dプリンターで作り出し、自分たちが望む形に塗装してそれを使う事でした。確かに既製品とは品質では勝負できないかもしれませんが、彼女たちにとってはそれで十分であり、しかも自分たちのクリエイティビティーが発露できたと感じているのです。これまでの消費活動の代替にはなりませんが、オルタナティブとしては十分機能しうるのです。

(ちなみに、Autodeskの”123D catch“と言うツールを使えば、iPhoneで撮影した対象物が自動的にデジタルモデルに変換されるというさらにすごいアプリがあります。)

ビル・ジョイというコンピュータ技術者(サンマイクロシステムの初期メンバーの一人)によるこんな話があります。

すべての知識、そしてアイデアを現実にするためのインフラがすべてネットで探し出せるこの時代、世界の名だたる企業で働くのは「優秀な人」ではなく、企業が求めるクライテリア(いい大学を卒業している、言葉が話そうとしている、など)に合致する「安全な人」であると。企業が求めるタスクに対して、企業が雇用しているのは実は「最高のスタッフ」ではない、ということです。

では、最高のスタッフとはどこにいるのか?

クリス・アンダーソンさんは、3D Roboticsという会社を経営しています。もともとは、ご自身の子供がレゴとモーターを使っておもちゃを作ろうとしているのをみて、「これが空を飛んだら面白いかもな」と思い、趣味で作った空飛ぶラジコン(DIY Drones)を製品として売り出すために作った会社です。

クリス・アンダーソンさんがこの空飛ぶラジコンのプロトタイプを作ろうと思っている事をブログで呼びかけたところ、反応したのがメキシコに住んでいるJordii Muñozという人でした。

その後彼とクリス・アンダーソンさんは、アイデアを製品に落とすため、ラジコンのプロペラを稼働するために必要なモーターをalibaba.comで中国のサプライヤーに発注し(翻訳はtrademanagerで行われる)、モックアップを作り出しました。

数年前にほんの思いつきで始まったプロジェクトは、適切なコミュニティを作ることで、自ら関与したいと思える人を世界中からあつめ、実際の企業として事業化への道を歩んでいます。

このJordii Muñozという人物ですが、クリス・アンダーソンさんにコンタクトをとったときはほんのティーンエージャーにしかすぎず、大学教育を受けた訳じゃありません。いわゆる従来の基準でいうと、決してつながる事の無かった二人です。しかし、このDIY Droneというプロジェクトにおいては彼が「最高のスタッフ」であったのです。クリス・アンダーソンさんが決して彼を求めた訳でなかなく、彼がクリス・アンダーソンさんを探し当てたのです。

ここに、新しい時代の物作りのヒントがあります。クリス・アンダーソンさんはこの3D RoboticsでフルタイムのCEOとなるために、WIREDの編集長を辞める事となりました。

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なんだか、ものづくりの動きというと、自分でもわかった気になっていたけど、それよりももっと大きな事が動いているのかなと感じた講演だった。いろいろ自分でも考えてみよう!

2012年カンヌ注目事例


今更、という感じもあるが、今年のカンヌで気になった広告事例をいくつかまとめてみた。

個人的には、「ネガティブな要素がある広告」に注目している。なぜネガティブか、と言われれば、自分がひねくれているという性格的な部分もあるかもしれないが、そこに何かしら人間の素性を示す要素があるような気がしてならないからだ。

「正義と悪」というテーマで登場人物が比較されるとき、正義(=つまり正しい事)だけの視点では何となくつまらない。負の面である「悪」が描かれてこそ、物語に深みが出る。(スターウォーズとかもそうだったし)という訳で、ネガティブな要素がキャンペーンの中にある事例を集めてみた。

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「憤怒:イライラの昇華」
“Parking Douche”

ロシアの新聞社、”Village”が展開したキャンペーン。ロシアにはびこる駐車クズども(=parking douche)を一掃するためのもの。街中で違法駐車を見つけた場合、専用のアプリを使って車のナンバーなどの情報を投稿。投稿情報をもとに、違法駐車が停められている近辺でVillageのウェブサイトを見ている閲覧者に、まるでページの閲覧をブロックするかのように、違法駐車車両が画面上に登場。邪魔な車両をどけ、再びページが閲覧できるようにするには、facebook上にてこの違法駐車車両について、「晒しあげ」をする必要がある。違法駐車がもたらす「イライラ」をうまく昇華した事例。

「喪失:〜〜がない」
“Empty Pages”

ペルーの新聞社”El Bocon”が展開したキャンペーン。この事例は、ペルー内で行われたとあるサッカーの試合において、白熱したファン同士のいざこざがもとで死亡してしまったファンの存在が契機となっている。サッカーの試合において、このような暴力沙汰が起こってしまったことへの抗議として、El Bocon紙は、キャンペーン当日のサッカーに関連する紙面をすべて白紙化。「白紙の紙面」という衝撃的な見栄面のまま、新聞を発行。ページをめくっていくと、白紙部分のあるところにメッセージが。「繰り返される暴力はフットボールを消してしまう。フットボールを守ろう。人の命を守ろう」当たり前にあると思っているものを喪失させることで、ストレスを生み出し、メッセージにフォーカスを当てることに成功している。

“Book Burning Party”

ミシガン州トロイにある公立図書館のキャンペーン。地元行政の財政状況の悪化により、いったんは閉鎖に話が進みかけてきた図書館だったが、それに反対するため、「図書館の本を燃やすパーティー」を企画。SNS上で展開。本を燃やすという好意に対して、多くのアテンションを獲得することに成功。「図書館がなくなるように投票すること=財政状況の改善」から「図書館がなくなるように投票すること=貴重な書籍を燃やすことに等しいこと」というパーセプションチェンジを実現。「図書館の本がもしなくなったら」という喪失をキャンペーンが演出することによって、メッセージを伝えることに成功している。

「仮定:もし何とかだったらどうなるか」
“The Return of Dictator Ben Ali”

チュニジアにて国民に投票を呼びかけるためのキャンペーン。長年の独裁政権を倒し、民主政治の道を歩もうとしているチュニジアの国民だったが、国内は疲弊しきっており、誰も政治にもはや興味を持っていない。そこでこのキャンペーンは、街の見晴らしのいいところに、昔の独裁者の顔写真がプリントされたOOHを展開。これを見て、独裁者が再び戻ってきたと勘違いした民衆は、怒ってこのOOHを取り外そうとする。すると、OOHがうまい具合に外れるがその下にはもう一枚、別のOOHが。「投票をしなければ、独裁者は再び戻ってくる。」というメッセージとともに、国民に政治に参加し、投票することの重要性を問いかける。「もし失脚したはずの独裁者が戻ってきたら?」という仮定を用いて、ストレスフルな状況を作り出し、コミュニケーションする事例。

「現実:みたくないかもしれないけれど」
“I have already died”

オランダでのALS(筋萎縮性側索硬化症)についての理解を普及・啓蒙、そして寄付を促すキャンペーン。ALSは進行することによって、死に至る病であるが、実際にALSとして診断された患者をキャンペーンに起用。広告物に登場する人物として、ALSに対する理解と、寄付を促すメッセージを発信する。ただ、すごいのはこの広告が出稿される時期。
掲載されるのは、広告内で登場している人物が死亡してから。広告を見た人は、今実際自分が登場人物が「既に死亡している」という現実をまざまざと突きつけられることになる。見たくない現実をあえて突きつけ、コミュニケーションする事例。

“Adoption Drive”

ペディグリーによる引き取り手のいない捨て犬の里親になることを啓蒙するニュージーランドでのキャンペーン。3D映画のシネアドとして放映される素材を2パターン用意。その際に、観客はキャンペーンのために寄付をしたか否かによって別々の3Dメガネを手渡される。寄付をした場合と寄付をしなかった場合とで、放映されるシネアドが違って見える。寄付をした人の場合は捨て犬がきちんと保護されていくというもの。寄付をしなかった人の場合は捨て犬が救われないというもの。自分の行動の結果によって、救われない(見たくない)現実を見せつけることで、コミュニケーションする事例。
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人の怒りであったり、悲しみを誘うような手法というのは、一歩間違えれば、炎上するリスクも極めて高い。このようなリスクをとろうとする広告主も、きっとそう多くはないだろう。(事実、上に上げた事例の広告主は一般企業ではなく、炎上をリスクとは捉えないNPO/NGO団体が多い。)だが、逆にここの炎上リスクについても綿密な計算が成り立つのであれば、機能するとも言い切れる。

例えば、先の独裁者の事例も、「きちんと騒ぎになるように」(これもへんな書き方だが…)その場で民衆の怒りに火をつけ、OOHをはがすという行為に至らせる為の「発火役」の人間がいたようだ。しかも、その後の媒体露出までのスムーズな移行が、キャンペーンを成功に導いたといっても過言ではない。いずれにせよ、極めて緻密な計算である。

ただの「恐怖訴求」ではなく、どのような反応になるのか、どのように炎上するのか、それがどう広がっていくのか。結果までを計算した上で、ネガティブな要素を触媒として使えば、大きなリターンをきっと得られるだろう。

リアルとデジタルの逆転

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最近、Facebookで知人の動向を知ることが普通になった。アクセス環境がPCやモバイル等多岐に渡るため、その昔mixiが流行った時よりも即時性が高くなった。

金曜日の夜に仕事で会社に残って、Facebookの画面を開くと、日本全国津々浦々(そして時には世界中)から自分たちがいかに花金を謳歌しているか、洪水のごとくタイムラインに写真やら、コメントやらがが跋扈し、それを受動的に見ている自分もなんだかその場にに参加しているような気分になって来るのだ。

その時、ふと感じた。なんだか、Facebookという大きなシステムの中で監視されているようだ、と。

昔は、ネットといえば、ある種の逃避行の行き先の一つだった。現実世界とは別の世界をネットの中に求めたのだ。匿名の環境の中、自由を楽しむ。初期のハッカー文化にもそのような考え方に通じるところがあるだろう。

だが、友人たちから続々とアップされるタイムラインをみていると、もはやそのような世界は存在しないように感じられた。Facebookが究極的に目指すのは、これまで、リアルな世界でしか存在していなかった「ソーシャル」と呼ばれる人間同士の関係のすべてをデジタルな世界に移植することだ。それは、現在進行形の出来事だけでなく、過去の出来事についてもユーザーが自ら情報をアップロードすること(例えば昔の写真とか)を促すことで実現しようとしている。

そのような事象が進むさなか、過去のデジタルな世界と同じ性格の自由を求めようと思うと、逆にリアルの世界に出ないといけないのではと思った。

何にも、誰にも行動をトラッキングされることもなく、他でもない自分のためだけに経験できる世界。

過去にネットの匿名性の中にそのような世界を求めた、決して多くはいないかもしれない人たちと同じ性格を持つ人たちがいるとするならば、今後彼らはきっとリアルの世界を目指すだろう。

「書を捨て街に出よ」じゃないが、きっと、これから、「外に出ること」がますます加速的な傾向を迎えると思う。外で音楽を聴くフェスしかり、自転車が都市圏の新たな移動として注目されていることもしかり、カーシェアの盛り上がりもしかり。

そういうトレンドを予見して、何ができるか。今のうちの仕込みが大事だと思うが、どうだろうか。

視覚以外の感覚を使ったプレゼンについて

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これは、もともとはドイツのアンドレアス・ハイネッケ博士が考案したもの。どれだけ経っても、決して目が慣れることのない「100%の暗闇」の中で、8名の参加者と1名の進行役(目が見えない方がやる)でキャッチボールや、積み木並べや、果てはお茶会までを行う。

このプログラムは面白い。が、どれだけ言葉で書いても実際に体感してみるまでは、伝わらないと思う。それは、人間がいかに普段から視覚に頼りすぎているのかという事を理解する瞬間だ。

例えば、積み木並び。8人の参加者は、それぞれ積み木のパーツを渡され、他人のパーツに直接触れる事なく、積み木を完成させなければならない。視覚的に相手がどのような部品を渡されているのか確認できない以上、言葉で伝え合うしかない。そして、それはきわめて難しい。なぜなら、誰かが「僕のパーツは結構大きい」と例えば言ったとしても、どれだけ大きいのか、誰にも共有されないからである。

なので、グループワークを行うにつれ、共通の尺度を作るなどの努力を試み、なんとか形にしようと努力するのだが、本当に大変。視覚という感覚が一つないだけで、単純な作業がこれほどまでに大変なのかと思い知った。

普段の仕事においても、同じ事が言えるのではないかと思った。

コピーとグラフィックをあわせてカンプを作る。CMを作るために、絵コンテを起こす。ウェブページのプレゼンをするために、遷移図を作る。すべて、視覚をベースにしたプレゼンだ。(当たり前だけど)

ただ、視覚以外に頼るプレゼンもある。

DIDのセッション中、視覚がない状況下で、他の感覚が研ぎすまされていく感じがあった。触覚、嗅覚、味覚…。視覚がない中でもリアルに現実が感じられる。それは、残った感覚がもたらすものだった。

ならば、視覚だけじゃないプレゼン手法も同じように、「リアル」を感じさせるために機能するのではないだろうか?

例えば、プロトタイプを作ってそれを提案する。実際に使ってもらい、触覚や、時間の感覚というものを肌で感じてもらう。それをするための素材は現在はそろっている。

視覚だけに依らないプレゼン手法の研究をしてみるべきかもしれない。