2012年カンヌ注目事例



今更、という感じもあるが、今年のカンヌで気になった広告事例をいくつかまとめてみた。

個人的には、「ネガティブな要素がある広告」に注目している。なぜネガティブか、と言われれば、自分がひねくれているという性格的な部分もあるかもしれないが、そこに何かしら人間の素性を示す要素があるような気がしてならないからだ。

「正義と悪」というテーマで登場人物が比較されるとき、正義(=つまり正しい事)だけの視点では何となくつまらない。負の面である「悪」が描かれてこそ、物語に深みが出る。(スターウォーズとかもそうだったし)という訳で、ネガティブな要素がキャンペーンの中にある事例を集めてみた。

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「憤怒:イライラの昇華」
“Parking Douche”

ロシアの新聞社、”Village”が展開したキャンペーン。ロシアにはびこる駐車クズども(=parking douche)を一掃するためのもの。街中で違法駐車を見つけた場合、専用のアプリを使って車のナンバーなどの情報を投稿。投稿情報をもとに、違法駐車が停められている近辺でVillageのウェブサイトを見ている閲覧者に、まるでページの閲覧をブロックするかのように、違法駐車車両が画面上に登場。邪魔な車両をどけ、再びページが閲覧できるようにするには、facebook上にてこの違法駐車車両について、「晒しあげ」をする必要がある。違法駐車がもたらす「イライラ」をうまく昇華した事例。

「喪失:〜〜がない」
“Empty Pages”

ペルーの新聞社”El Bocon”が展開したキャンペーン。この事例は、ペルー内で行われたとあるサッカーの試合において、白熱したファン同士のいざこざがもとで死亡してしまったファンの存在が契機となっている。サッカーの試合において、このような暴力沙汰が起こってしまったことへの抗議として、El Bocon紙は、キャンペーン当日のサッカーに関連する紙面をすべて白紙化。「白紙の紙面」という衝撃的な見栄面のまま、新聞を発行。ページをめくっていくと、白紙部分のあるところにメッセージが。「繰り返される暴力はフットボールを消してしまう。フットボールを守ろう。人の命を守ろう」当たり前にあると思っているものを喪失させることで、ストレスを生み出し、メッセージにフォーカスを当てることに成功している。

“Book Burning Party”

ミシガン州トロイにある公立図書館のキャンペーン。地元行政の財政状況の悪化により、いったんは閉鎖に話が進みかけてきた図書館だったが、それに反対するため、「図書館の本を燃やすパーティー」を企画。SNS上で展開。本を燃やすという好意に対して、多くのアテンションを獲得することに成功。「図書館がなくなるように投票すること=財政状況の改善」から「図書館がなくなるように投票すること=貴重な書籍を燃やすことに等しいこと」というパーセプションチェンジを実現。「図書館の本がもしなくなったら」という喪失をキャンペーンが演出することによって、メッセージを伝えることに成功している。

「仮定:もし何とかだったらどうなるか」
“The Return of Dictator Ben Ali”

チュニジアにて国民に投票を呼びかけるためのキャンペーン。長年の独裁政権を倒し、民主政治の道を歩もうとしているチュニジアの国民だったが、国内は疲弊しきっており、誰も政治にもはや興味を持っていない。そこでこのキャンペーンは、街の見晴らしのいいところに、昔の独裁者の顔写真がプリントされたOOHを展開。これを見て、独裁者が再び戻ってきたと勘違いした民衆は、怒ってこのOOHを取り外そうとする。すると、OOHがうまい具合に外れるがその下にはもう一枚、別のOOHが。「投票をしなければ、独裁者は再び戻ってくる。」というメッセージとともに、国民に政治に参加し、投票することの重要性を問いかける。「もし失脚したはずの独裁者が戻ってきたら?」という仮定を用いて、ストレスフルな状況を作り出し、コミュニケーションする事例。

「現実:みたくないかもしれないけれど」
“I have already died”

オランダでのALS(筋萎縮性側索硬化症)についての理解を普及・啓蒙、そして寄付を促すキャンペーン。ALSは進行することによって、死に至る病であるが、実際にALSとして診断された患者をキャンペーンに起用。広告物に登場する人物として、ALSに対する理解と、寄付を促すメッセージを発信する。ただ、すごいのはこの広告が出稿される時期。
掲載されるのは、広告内で登場している人物が死亡してから。広告を見た人は、今実際自分が登場人物が「既に死亡している」という現実をまざまざと突きつけられることになる。見たくない現実をあえて突きつけ、コミュニケーションする事例。

“Adoption Drive”

ペディグリーによる引き取り手のいない捨て犬の里親になることを啓蒙するニュージーランドでのキャンペーン。3D映画のシネアドとして放映される素材を2パターン用意。その際に、観客はキャンペーンのために寄付をしたか否かによって別々の3Dメガネを手渡される。寄付をした場合と寄付をしなかった場合とで、放映されるシネアドが違って見える。寄付をした人の場合は捨て犬がきちんと保護されていくというもの。寄付をしなかった人の場合は捨て犬が救われないというもの。自分の行動の結果によって、救われない(見たくない)現実を見せつけることで、コミュニケーションする事例。
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人の怒りであったり、悲しみを誘うような手法というのは、一歩間違えれば、炎上するリスクも極めて高い。このようなリスクをとろうとする広告主も、きっとそう多くはないだろう。(事実、上に上げた事例の広告主は一般企業ではなく、炎上をリスクとは捉えないNPO/NGO団体が多い。)だが、逆にここの炎上リスクについても綿密な計算が成り立つのであれば、機能するとも言い切れる。

例えば、先の独裁者の事例も、「きちんと騒ぎになるように」(これもへんな書き方だが…)その場で民衆の怒りに火をつけ、OOHをはがすという行為に至らせる為の「発火役」の人間がいたようだ。しかも、その後の媒体露出までのスムーズな移行が、キャンペーンを成功に導いたといっても過言ではない。いずれにせよ、極めて緻密な計算である。

ただの「恐怖訴求」ではなく、どのような反応になるのか、どのように炎上するのか、それがどう広がっていくのか。結果までを計算した上で、ネガティブな要素を触媒として使えば、大きなリターンをきっと得られるだろう。

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