仕事における能力の高さ


仕事における能力の高さとはなんであろうか。

一番簡単な指標は、周りの人との相対的な比較だろう。
「あの人は仕事できる」
「〜〜は仕事できない」

など。

私たちは皆、幼少の頃から学校や塾でそのような方法に慣れ親しんでいるからだ。

ただ、職場は、学校とは違う。職場で仕事をしていると、様々な人に出会う。年齢や仕事での経験や、バックグラウンド、国籍までも、何もかも違う。

他人と比較するのは意味が無いのではないだろうか。それに、比較をしだすと、落ち込む。他人を出し抜くのは非常に難しいからだ。(そして、だからこそ、自己啓発本が時を問わず売れる)

では、能力の高さとはどこからくるのだろうか?私は、それは自分の切片(傾き)だと思う。

それは、能力の高さではなく、情熱の強さである。自分の普段の意識の持ちようである。
仕事に日々向き合うとき、過去も、未来も気にせず、仕事をしている一刹那に力を込めるとき、その人の切片はきっと高くなるはずだ。

だが、自分のこれまでの経験や、自分で把握している自分の性格に照らし合わせて考えると、この切片は意識しないと切片は高くならない。
・仕事における情報収集を心がける
・休日に置いても仕事の事をどこか考え続ける
・会議で積極的に発言する
・自分の価値分のアウトプットを出し、さらにはその上のアウトプットを目指す
※いわゆる仕事で成功する為の「心がけ」だ。金太郎あめをきったみたいに跋扈している自己啓発本を読めばこれらの内容の枚挙には暇がない。

面倒だけど、確かに自分の気持ちをがんばって「押し切らないと」、たしかに情熱は生まれない。人間は元来怠惰な生き物だと思う。だが、押し切った後の気持ちは壮快だ。活力がみなぎり、どんどんやる気がみなぎってくる。達成感もある。

だが。

こんな事を書いていると、資本主義って本当に大変だなと思う。

なぜ、ここまでやるのか。なぜ、仕事を頑張る事/自分の「成長」とやら(それが本当に成長なのかどうかは怪しい…)を目指すのか。その先に何があるのか。
一種の「出家」のようであると思った。がんばる事に、理由なんか無い。ただコミットし、そのコミットに対しての成果を求めるのみ。このコミットの代償が高ければ高いほど、リターンも確かに多い。

 

現代日本のビジネスパーソンのなかに、(日本に限った話じゃないかもしれないが)仕事がある種の宗教的なよりどころになってしまっているような気がする。

今の仕事は確かに好きだし、充実感もあるが、社会全体でもっと気楽にやればいいのに、とも思う。

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